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西日がよく入る、資料室の窓辺。
窓の外にたくさんの花が咲いているのが見える。
名も知らない花だけれど、その花弁の色が印象的だ。
ファイルを二冊膝の上に置いて、エドワードは頬杖をついたままぼんやりとしていた。
眠っていたわけではない。
ただ意識が、この東方司令部内にある資料室から離れていたのだ。
視線を掠める窓の外の花が、エドワードの意識を、遠い日のリゼンブールに連れていったのかもしれない。
花弁の色はあの日見た、夕日と同じ色をしている。
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ロイが資料室の扉を開けた時、エドワードはぼんやりと窓辺に座り込んでいた。
それを訝しげに思ったロイは、近くまで寄ってエドワードを呼んだ。
しかし反応はない。
『鋼の』
屈んで、肩に手をおいて呼びかけてみる。
すると、漸くエドワードは顔をあげた。
『ああ…大佐…』
目の焦点が合わないような、虚ろな顔をしている。
『なんだ、そんな呆けた顔をして。寝てたのかい?』
自分も座り込んで目線を同じ高さにして、エドワードの長い前髪を耳に掛けるように撫ぜた。
すると『いや、寝てない』という答えが戻ってくる。
『ちょっとボーッとしてただけ』
ロイの撫ぜる手を、エドワードは払うようにした。
『そうか。』
それが実は、照れからきているという事をロイは知っていて、笑みをこぼす。
『大佐、仕事は?』
顔をあげたエドワードの頬は、ロイの思ったように少し、赤い。
『今日はもう終わりだよ。久しぶりに定時にあがれる』
ここの処、残業続きだったからね。とロイは嬉しそうに言った。
『じゃあ、ここの鍵返さないとな。』
尻についた埃をはたくようにしながら、エドワードは立ち上がる。
『ああ、続きはまた明日やるといい。一緒に帰ろう。宿まで送る』
同じように立ち上がって、ロイは言った。
エドワードが持っていたファイルを、手に取ってロイは棚に返す。
『行こうか』
『ああ、うん』
廊下に出て施錠をしているロイの背に、エドワードは問いかける。
『…アルは…?』
そういえば午後から弟の姿を見ていない。
『アルフォンス君はハボック達の手伝いをしてくれているよ。
後で、ハボックが直接宿まで送ってくれると連絡があった。』
『そうなのか?』
午前中は自分と一緒にこの資料室に一緒にいたが、午後になって昼食を摂った辺りから見ていなかった。
『手伝いしてくるね!』と、もしかしたら言っていたかもしれない。
いや、あの弟の事だ。自分に行き先を教えないで何処かに行くと言う事はまず有り得ないだろう。
自分は、資料に集中していて余り聞いていなかったのだ。
『何だ、聞いていなかったのかい?』
『いや、聞いたんだけど。聞いてなかった』
意味が自分でもよく判らないが、そのままの事を伝えた。
その事が、なんだか無性にエドワードは悲しかった。
聞いていたのだけれど、聞いていなかったのだ
『なんだそれは…』
変な鋼のだ。と言いながらロイは笑った。
いつだって隣にいたのは、最愛の、たった一人の弟だった_____
……筈だけれど……
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司令部の外に出ると、空は鮮やかな茜色と藍色のグラデーションを画いていた。
『すげー綺麗!』
長い石段を下りながらエドワードは思わず口を開く。
『おや、鋼のの口から“綺麗”だなんて言葉を聞くとは思わなかったよ』
茶化し乍らロイが傍らを歩く。
『は?うっせーな、俺だって綺麗なモンにはちゃんと綺麗だって言います』
『それは悪かったね』
茜色、橙色、黄色、桃色、藤色、藍色…
絶対に、絵の具では表現できない絶妙な色彩。
これを表現できる者があるとすれば、それは神と呼ばれる者なのかもしれない。
化学者であり、彼の有名な殲滅戦中、地獄のような死線を何度も越えてきた。
だから自分は無神論者だ。
しかし、こういう情景を見ると、人間を超越した存在は在るのかもしれないと思える。
『ああ…でも、本当に綺麗だ』
空を見上げてロイは言った。
『あんたも、夕日を見て綺麗って言うんだね』
『失礼だな。私だって綺麗なものには綺麗って言うさ』
同じ事を反覆して、二人は笑った。
他愛もない、話。
■■■■
門守に軽く会釈をしながら外に出る。
エドワードが泊まっている宿も、ロイの家も、司令部からそう離れてはいない。
15分もあれば着ける距離だ。
最近こうしてこの男と一緒に歩いている事が多くなってきた。とエドワードは思う。
イースト・シティに滞在している間は殆どだ。
軍靴の踵が小気味の良い音を奏でている。
鎧姿の弟はもっと金属的な足音がする。
コツ、コツ、コツ、コツ
カシャン、カシャン、カシャン、カシャン
始めは、その足音の違いに違和感を覚えていた。
しかし、今ではそれにもすっかり慣れてしまった自分がいる。
これでいいのか?と思う。
自分の隣を歩いていたのは……
或いは、これから先も隣を歩いていくのは……
弟ではなかったのかと……
しかし、先程の弟の言葉を聞いていなかった自分を、エドワードは思い出す。
『…………』
突然黙りこくってしまったエドワードを不思議そうにロイは見た。
『鋼の…?』
『……リゼンブールで見た夕日もこんな色だった』
唐突にエドワードは語り出した。
『ずっと畑が続いてさ、』
『でも、同じ東部だけどこんな建物なんて立ってなくて…』
『ああ…知ってるよ』
数年前、エドワードと初めて出逢ったあの田舎町をロイは思い浮かべる。
あの時、あの子供は絶望の縁に居て
生きているのか死んでいるのか判らない眼の色をしていた。
それが、もうずっと昔の事に思える。
しかし、エドワードが見ているリゼンブールはロイの知らない、更に昔のものだ。
『隣には、アルがいたんだ。いつだって帰り道を一緒に歩いてるのはアルだったんだ』
『でも、こうして最近はあんたと一緒にいる時間が増えてて…』
『あいつを元に戻す方法を探してるのに、時々俺はアルの言った事を聞いていなかったりして…』
『…そんな自分が嫌なんだ。悲しくなる。アルの事全部、ちゃんと知らない自分が』
とエドワードは吐き捨てるように言った。
『………』
■■■■■
次の交差点で二人は分かれる。
エドワードは左でロイは右に曲がる。
何か、教えなければと思いロイは口を開く。
『私は……』
しかし何をどう伝えれば良いのか、惑う。
『……家族とはそういうものだと思うよ』
『え…?』
言葉を、選んでロイは口に出した。
『家族だからって、全部知っていなくてもいいと思うし』
『ずっと一緒にはいられないもの、なのではないかな…?』
『…まだ先の事かもしれないけど、いつかはアルフォンス君も君じゃない人と歩いていくのだと思う』
____違う路を
『少し悲しいけれど、…そういうものだよ』
とロイは少し困ったように笑った。
『あ……』
言葉少なだが、ロイの言っている事は的を得ているのではないだろうか。
弟にもいつか、好きな人ができて
自分と今隣にいる男と同じように、他愛のない話をして笑いあったりする日がくるのだろう
きっと弟の隣でする足音は、自分の、左右音が違うそれではないのだ
『そうだよな……』
____いつかは、手を放して、それぞれ違う人と違う路を歩んでいくもの
それが
『…家族って、そういうものなのかな。』
『きっと……』
ロイの顔も、夕日に照らされ茜色だった。
遠い日に見た、弟と同じ色の顔だ。
『また明日。』
別れ際に、ロイはエドワードの頬に口付けた。
fin
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本当はもっと、さらりと書く予定だったのにこんなになってしまいました。
…なんだか昔読んだ小説にこんな件が在ったような気がする……デジャウ゛?
家族という繋がりはものすごく強固で、でも本当はものすごく脆いものだと思うのです
椎名林檎の『茜さす帰路照らされど』を聴き乍ら
20060217
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