夜の街を歩いている。

夜9時を少し過ぎたこの時間帯は、商店は殆ど営業時間を終了していて
大通りと言えど流石に通行人も疎らだ。
空は涅色に染まり、
街灯の光が白々しい程に明るい。




ソ ワ レ






自分の隣にいる男は、コートの下に見慣れた青い服ではなくシックな黒いスーツを着ていた。
そういう自分も、いつも身に纏っている赤いコートも、底の少し厚いブーツも履いていない。
珍しくフォーマルな恰好をしている。

『喉が乾かないか?鋼の』

いつものブーツを履いていない為、いつもより少し高い位置から男の声が聞こえた。
『え?ああ、うん。少し』
そういえば、先程から喋り通しだったので喉が乾いていた。
それに身体的にも精神的にも疲れ果てている。実は歩くのも億劫だ。
『お茶でも飲もうか』

こんな時間に、開いている店といえばエドワードは酒場位しか知らない。
それなのにロイは、昼食後のコーヒーを飲みに行くのと同じような気軽さで、エドワードを誘った。
『え、お茶?』
『ああ、まさか未成年の君を酒場に連れて行くわけにもいかないだろう』
そう言うとロイは大通りから一本入った道にエドワードを案内する。
『ここだ』
そこには少し古びた建物があった。
看板が特にあるわけではなく、エドワードにはここが何かの店だとは到底思えなかった。
『ここ?』
『そうだよ。さあ』
ロイに促されるまま、エドワードはその建物に入った。




■■

遡る事、十時間前。

エドワードとアルフォンスは執務室の、応接用の革張りのソファに座っていた。
エドワードの前には紅茶と、ドライフルーツがたっぷりと入ったケーキが置かれている。


『ヤだ!俺行かねえ!』
エドワードは机に両の手をついて、威勢良く立ち上がった。
カップに入っていた紅茶が、波を打つ。

『兄さん!』

そんな行儀の悪い兄を咎めるように、諫めるように、アルフォンスはエドワードのコートの裾を掴んだ。
『そんな事を言わずに…頼むよ鋼の』
兄弟の向かいのソファに腰をかけていたロイは、立ち上がっているエドワードとは対称的な涼しげな顔でカップに口を付けている。
『もう返事をしてしまったんだ…』

こんなやりとりを、もうかれこれ数十分繰り返している。




いつもの如く、定期報告に訪れたエドワードとアルフォンスは、始発の汽車でイースト・シティに着いた。
今回訪れていた西部と南部の境にある村は、交通の便が悪く、此処に辿り着くまでに丸三日の時間を要してしまった。
三日間汽車に乗り続けていた為、体のあちこちが痛い。
今日は報告書を出したら、真っ先に宿に行って、疲れた体を癒そうとエドワードは予定を立てていた。
駅前のパン屋でパンを買い、軽い朝食を摂ってから、二人は司令部に向かった。

その矢先___

執務室に入るなり、碌な挨拶を交わす間もなくロイは
『おかえり鋼の。急でなんだが、今晩、晩餐会に出席してくれ』
とエドワードに告げたのだった。
『はあ?』
エドワードの立てた予定はあっさりと崩れてしまった。




呆然としているエドワードにロイが詳しく話した内容はこうだ。

なんでも去年軍を退役した元将軍が、この東部にそれはもう豪華絢爛な屋敷を造り、そのお披露目に晩餐会を開く。
その晩餐会に国家錬金術師であるエドワードにも参加して欲しい。という事なのだそうだ。

こういった軍の面倒事を、ロイは極力エドワードにさせないように配慮していた。
しかし、今回ばかりは、色々と世話になった将軍の頼みとあって断れなかった。と、ロイは言う。
自分は軍属で、そういうものに出席しなくてはならないものだというのはエドワードも重々承知していたつもりだ。
『でも、何も今日でなくても』とエドワードは思うのだ。
長旅で疲れている今日でなくても。と。

『将軍は、君が国中を飛び回っていることを知っていてね、是非色々と話を聞かせて欲しいそうだよ』
行きたくない、と主張するエドワードを無視してロイはどんどん話を進めていく。
アルフォンスはおろおろと、そんな二人を交互に見た。
『……なんで、俺が今日来るって判ったんだよ』
怒気を含んだ声音でエドワードは尋ねる。
『君、三日前に電話をくれたじゃないか。だから、こちらに着くのは今日の朝かと思ったんだ』
『寄り道するかもしれないじゃないか』
『いや、三カ月も前に発って行って、流石に寄り道はしないだろうな。って思ったんだよ』
ロイはそう言って、笑った。
その確証は、自信は、一体何処から来るのだろうか?
ようするに、全てお見通し。というわけだ。

確かにエドワードは調査が終わった。東部に戻る。といった旨をロイに電話で伝えていた。
電話をした駅から、ここ迄の経路や時刻表を調べる事くらい、東方司令部にいるロイにとっては雑作のない事なのだ。
『〜〜〜!』
立ち上がっていたエドワードは、再びソファに腰をおろした。


『…俺、三日間座りっぱなしで疲れてるんだけど…風呂も入ってないし』
先程の勢いはないが、エドワードはまだ食い下がる。
『晩餐会までまだ時間がある。シャワー室を使うといい。あと、仮眠室で一眠りするといいよ』

『…俺、そんな処行ったことないし……』
『大丈夫だよ。私も行くから』

『…俺、一張羅だし…』
晩餐会に出れるような服を、エドワードは持っていない。
『それは、こちらでちゃんと手配するよ』

言う事なす事、先手を打たれてしまっている。
エドワードよりロイの方が一枚上手だった。

『………』

『…アル一人にしちゃ可哀想じゃねえか…』
『ああ、兄さんそれは大丈夫だよ。僕、油を塗ったりしたいし。行って来なよ!』
内心ずっとこのやりとりを聞いていて『兄さん、往生際が悪いなあ』と、アルフォンスは思っていた。
しかしそれを感じさせないような、明るい調子で、心配ない。と教えてやる。
『アル…』
恨めしげな眼でエドワードはアルフォンスの方に向き直った。

『だって…………』
なんとか断る方法を考えたが、これくらしかもうエドワードは思い浮かばなかった。

どうやらもう逃げ道はないらしい。



『多方面にコネクションを持っている方だ。名前と顔を覚えてもらって損はないだろう』

『まあ、これも仕事だと思ってくれ』
立ち上がってロイは、ポケットの中からシャワー室と仮眠室の鍵が入った束を取り出した。

『………』

その束を引ったくるようにロイの手から奪い、
エドワードはわざと大きな足音を立てて執務室の外に出る。
出かけるまでの時間で、休息を取るしかない。



こうしてエドワードは、ロイの口車にまんまと乗せられてしまったのだ。




to be continued.....
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続きものです。
長くなってしまったので。
次は晩餐会篇。
20060227


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